俳優の村上虹郎が主演を務める映画『銃』が11月17日から全国公開されている。原作は、芥川賞作家・中村文則さんのデビュー作。ある雨の日に河原で偶然拳銃を拾った一人の大学生が、その銃に取り憑かれ、狂気に染まっていくさまを描く。今回はメガホンを握った武正晴監督に、本作に込めた思いや撮影への取り組みなどと共に、監督自身の考える音楽と映画との関係などを語ってもらった。【取材・撮影=桂 伸也】
本作のキャストは、その大学生・西川トオル役を村上、そのトオルと一時心を通わせるヒロイン・ヨシカワユウコ役を広瀬アリス、殺人事件の現場で消えた拳銃を追う中でトオルにたどり着き、つきまとう刑事役をリリー・フランキーが担当。さらにトオルの軽薄な友人・ケイスケ役に岡山天音、トオルとワンナイトラブの関係となる、通称“トースト女”役に日南響子、他にも元モーニング娘。の新垣里沙と、個性的な若手陣が脇を固める。また映画は10月25日に開幕した第31回東京国際映画祭で日本映画スプラッシュ部門に出品され、ワールドプレミア上映された。さらに映画祭では、武監督が日本映画スプラッシュ監督賞、村上が東京ジェムストーン賞を受賞と2冠を達成し話題を呼んでいる。
MusicVoiceでは以前、女優の佐藤江梨子にインタビューをおこなったが、その佐藤が出演した映画『リングサイド・ストーリー』や『イン・ザ・ヒーロー』などを手がけた武監督は、2014年の映画『百円の恋』で、第27回東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門作品賞をはじめ、国内外で数々の映画賞を受賞、その作風に高い評価を得ている。
今回は武監督に、本作に込めた思いや撮影への取り組みなどと共に、監督自身の考える音楽と映画との関係などを語ってもらった。
役者に演出を任せて「ああ、なるほど」と思った瞬間
――作品ですが、全般モノクロで構成された映像であることにやはり強い印象があり、私は重苦しい雰囲気を強く感じました。このモノクロの部分というのが主人公の西川トオルにとって、どちらかというと“夢が叶った”というイメージを表したもの、そして最後に彼は現実を突きつけられて全体もパッと視界がカラーに変わる、という展開でした。ただ夢が叶うというイメージであれば、実は色の変化は逆では? という印象もあったのですが…。
まず今回のイメージとして、彼は、生身のものを全然体験していない甘っちょろい奴なので、現実を突きつけてやろう、と思ったんです。彼が初めて拳銃を撃って血を見たときに「これ、こんなことじゃない」とか言い出すんですが、拳銃を撃った人は大体みんなそう言うんですよね、「殺すつもりはなかった」と。でも“拳銃を撃ったら人間は死ぬことくらい、分かるだろう?”って。
だからそれを初めて知ったときに、生の、今のカラーのついた世界へ、“はいどうぞ、現実世界へ。これからあなたは厳しい、もっと苦しいことを経験するんですよ”という世界へ入れたという感じになる。それまではずっと現実を知らずに生きてきている、白黒の世界で生きている甘っちょろい奴という感じ。だからそんな気分が出たらいいかな、という風に考えたんです。
――“血を見る”というところに、そのイメージにつながるものが感じられますね。
僕らもそうだけど、血を見ていない奴の甘いところというか、たとえば戦場や戦争を知らない、“甘い人”というか…そんな人が戦争や戦場の議論をしたところで、ヌルいじゃないか? という気持ちが自分の中にあったんです。その意味ではトオルという人間は、なにかすごく自分で分かりきっているところがあるけど、やっぱりまだまだ甘っちょろい奴で、拳銃で撃ったら人は血が出て、そして死ぬということが分からない人間。人を撃って初めてそれを知るわけなんです。
逆にそれが分かっているリリー(・フランキー)さんの刑事が出てきたときに、あの人間の言葉が魅力的でもあるけど、非常になんか知ったかぶりの腹立たしい大人が出てくるという、そこに全然ついていけない感じが、彼の苛立ちになっていく。そしてやっぱり原作で中村さんが書いているように、銃を撃ったときに“世界は変わった”と展開して、同時に自分の周りから色んなものが遠ざかっていく感じがしたと。
それで“こうじゃなかったのにな”と、思っていたことと現実は違っていたと実感する。あんな瞬間、たとえば血を見ていくという瞬間、人間が生きたり死んだりするというものに対して、僕らは余りにも目を背けているなと思うこともありまして。
――いろいろなことを考えさせられるストーリーですね。エンディング部分は、なにか原作で表現されたトオルのイメージとはちょっと違う印象を受けました。刑事が登場するという展開もありますが、リリーさんの微妙な表情が重なり、印象的な雰囲気になっていました。ここには何らかの意図があったのでしょうか?
いや、あそこは意図というか、役者さん自身がそう演じたんです。
――そうなんですか? ではそこでの演出は放っておいて、役者さんがどのような演技を見せられるかをそのまま観察していたと?
彼らが自分たちでそんな芝居をしたので「へえ~、面白いことをするなぁ」と思っていました。あれは原作にはない部分なんですが、僕としては「あの刑事が来たら、トオルはどんな顔をするんだろう?」というのが見たかったんです。僕が最初の観客なので、それを見て「ああ、なるほど、そういうことか」と思って。その意味ではその狙いがちゃんと出ていたな、と思いました。
だからカラーにした瞬間、甘ったれていた少年の部分がフッと出たというか。たとえば父親を求めている、叱られた子供のように“なにをやっているんだよ、おまえは!”と言われたときに、言ってくれる人がいてくれた喜びとか。トオルはもともと父親とは一緒に生活していないし、母親に捨てられた人間なので、親というものを知らないんです。その状態で「ダメでしょ?こんなところで拳銃を撃っちゃ!」と(笑)、言ってくれる人を求めていたんだと思う。
――そういったことを、撮影前に考えられていたのでしょうか?
いや、それはシナリオにも書いていなかったですし。それに近いような、サブテキスト的なことは書いてはあったけど、むしろここまで役として生きてきた演者が、それを感じて「ああ、それをちゃんと観客に届けたいんだな」と思えるようなことをやってもらった方がいいかと。だから刑事が来たということに対して、トオルがあんな顔をするんだ、と感じられるのはとても良いことだと思ったんです。子供が叱られるって、あんな感じじゃないですか? なんかすごく人間味があるし、かつ救いだなとも思えたし。
――ある意味、奇跡的なシーンですね。原作からここまで印象が変わっちゃうというのもすごいな、と。
でも俳優はそれをやるのが仕事ですし、僕らはそれを見て撮るだけの仕事ですから。確かにあのシーンは素晴らしいし、だからこそやっぱり役者というのはすごい。ずっと頭から演じてきたから、あの瞬間にああいった印象的な表情がフッと出るわけですよね。「ああしてくれ」「こうしてくれ」と指示して、そのとおりにやってもらうのは簡単だけど、演技って瞬間芸術、一回しかできないもので、多分“もう一回やって”と言ってもできないわけですから。だからこのときも「わあ、すげえのが出てきたな!」って。それを確実に捉らえて、お客さんに届けるために、今度はどういうことをするか、というのが僕らの仕事なんです。
――「銃」というものは、常に社会に向けて様々な問題を投げかけるようなところがありますが、そういう意味ではこの映画は問題定義をしているとも考えられます。武監督がこの西川トオルのように、一人で銃を見つけるような場面に出くわしたときには、どのような反応をされるでしょうか?
まず僕は拾わないですけど、多分撃ちますね。だから絶対に拾わない、拾っちゃダメですよ。危ないです、あんなもの。道端でちょっと肩がぶつかった、ってバーン! って撃っちゃったり。だから持たないようにしたいと思いますけど。
拾わないのは車を運転しない、免許を持たないのと一緒(笑)。車は人をはねる可能性があるし、人を殺す可能性があるものは近寄りたくない、できることなら。自分の生涯が終わるまでに、人を殺めたくない。でも不幸なことって起こるわけだから、そのためにもそれに近寄らない、というのが僕の小さいときからの身上。だから僕はできるだけ道具を持ちたくないし、人を殺める可能性があるものには、近づきたくないんです。そんな思いでも今回の映画は作りましたから。
でもね、そりゃ持ったら撃つでしょうね!(笑)。原作で中村さんが印象的なことを書いているな、と思ったことがあったんですが、それは「拳銃というのは、人を殺すための道具だろう? なんで撃っちゃいけないんだ?」って。ただ、今は「人を殺せる道具なのに、なんで撃っちゃいけないんだ?」という派と「銃なんか持っちゃいけませんよ」という派が今ぶつかり合っているけど。
よくこんなものをアメリカの人たちは、家庭に持っていたり、携帯電話と同じ数を持っていますよね。アメリカでポケットに手を突っ込んだら構えますからね、みんな。日本ではポケットから出すのはスマホでしょう。そういうものを選択したというのはいいことだし、今後もそのままでいてほしいなと。
20歳の村上の姿が活かせたことに感激
――今回の映画で音楽を担当された海田(庄吾)さんは、映画を撮影される前に音楽を既に書かれていたということですが、それはもともとどんな音楽が欲しい、といった何か先にイメージされていたものがあったのでしょうか?
いや、イメージというとそんなものは。でもできるだけ音楽の劇伴を使わず、どうやって音楽を表現しようかという挑戦ができる作品だと思っていました。今回は主人公の内面的な話で、小説でいうと一人称。で、常にカメラが主人公一人をずっと追っていくだけの話なので、なにか彼に聞こえるものが音楽としてお客さんにも届くというか、彼が見たもの、体験したものをお客さんが同じように追体験していくような、劇場で追体験をしていくような思いになってくれたら、という思いがありました。
だから客観的に見ていただくよりは、主人公と一致していくような、シンクロしていくような感じを意識しました。たとえば主人公が家に帰ってきてパッとオーディオのスイッチをつけたら音楽が鳴るわけですが、単に劇伴が鳴っているというのではなく、見ている側に主人公が聴いているものとして聴こえる感じというか。そして同じ音楽がだんだん彼の内面の変化のように見えてくるかのような、そんな音楽を作れたらと思っていました。その意味では“実際に音楽として聴ける音楽”、劇伴というよりも、たとえばトオルのような大学生なんかが好んで聴くような曲はないか、と模索するような思いはありました。
今回聴こえてくる音楽は全部、海田さんが作ったもので、トオルの家の部屋だけでなく劇中に出てくる店の中で聴こえる音楽についても、全部劇伴として作ってもらったんですけど、特にトオルがずっと部屋で聴くメインテーマ的な音楽というのは、その俳優さんの内面的なところも影響するので、事前に作って撮影現場で掛けられればいいなと思って撮影前に作ることにしていました。
――たとえば音楽というものが先に決まったことで、それに引っ張られる感じもあるなのかな、という風にも思いました。音楽の雰囲気が先にできたことで、映画の雰囲気というものをそのまま決定付けてしまうような影響を。
いや、映画の雰囲気を作るというよりも“この主人公は普段、どんな音楽を聴いているのか”という感じでしたので、特には。いつものことなんですが、映画を作っていくと、作り手が主人公に同一になっていくというか、僕自身になっていってしまう部分もあるので、「僕だったらどんな曲を聴くのかな」というのもあったんですけどね。結局、誰もそれは言ってくれないですが(笑)。映画を作るというのはなにか結局自分の部分であって、自分が作っていくしかないので。
そういう意味では、自分が好きな曲というか。トランスできる曲とか、一人になって部屋で聴いていて現実を忘れるような曲、音楽の系統でいくとプログレッシブというか、そういう何らかの効果があるような音楽のほうがいいかな、という気持ちはありました。やっぱり主人公が部屋の中でずっと聴いていて狂っていく感じ、狂いたい感じというか。「日常の音楽なんか、聴いていてたまるかよ!?」という感じ。自分の中のそんな感じを思い出しました。僕も若いころには窓を全部閉め切って、ガラスが割れるんじゃないかというくらいの音響で、音楽を部屋の中でずっと聴いたこともあったので、この主人公だったらどんな音楽を聴かせたらいいんだろうな、って。
――では音楽という部分がこの映画の表現の中で影響している割合というものとしては…。
やはり大きいですね。トオルには音楽に逃げていったりとか、日常の声を聴きたくないというときに、音楽で遮断するという部分があるので。今の皆さんはそうやって生きていると思うんですよね。周りのものにある、生の音というのを遮断して、みんな耳に栓をして歩いている。僕はなかなかあれが理解できないんですが、人たちには耳というものがあるのに、何故それをわざわざ遮断していつも生活しているのか? って。人間って不思議だなと思うんですよね。
特に僕は東京に来て30年になるんですけど、本当に音を遮断して生きている人たちが多いなと思います。今は目も遮断していますよね、スマホを見て。これから100年経ったらみんな猫背になって(笑)、耳が聴こえなくなって、視力も悪い人間にだらけになると思うんですけど、僕はそうはなりたくない。その意味で僕はいい時代に生まれてきたなと思っています。
やっぱりそういうものを使いたくないし、この映画はそんな思いに対するひとつの提示みたいなところもある。だからこの劇で見られるトオルの前に出てくる人間というのは、みんな耳を開放せず音楽を聴いていたりとか、目をふさいでいたりしている人が多いけど、あまりこの主人公にはそうはさせたくなかったんです。
彼は外にいるときはほとんど偽っているというか、非常に人との関係性をよく見せているんですけど、実はそれがすごく苦痛でかつ意外と色んなものを聴いて、色んなものを見ている。そしてその時にどうしても早く自分の家に帰って、部屋に戻って締め切って、音楽を掛けて、ようやく自分の求めているものに浸透していくという感じ。まあ非常に典型的な現代人だと思うんですけどね。
――そういう意味では、主人公には割と自分に近いものがあると?
そうですね。僕なんかは全部そうですから。主人公と結構そこは近いなという印象はあって、共感できた部分がありました。ただ僕にとってそういうのは若いときですから、久しぶりな気持ちでもありました。だから30年位前の自分に「ああ、かつてはこんなときもあったな」と思い出しながらやっていたんですけど。
まあどうしても年をとってくると、そういう部分は生活環境も変わってきますし。原作者の中村さんとお会いしたときに、彼がこの物語について“青春だな”と言われて“そうだな、別にこれはとっつきにくい主人公というより、誰にでもあった瞬間だよな”と思ったし、そう思ったことで映画として描いていくことがすごく楽になったんです。あまり難しく文学だとか、小説が原作とかというところで考え過ぎないほうがいいな、青春映画にしたらいいんじゃないかな、って思って。
――そういう映画を描こうとしたときに、村上さんの起用がそのまま当てはまるかな? と思われたりはしました?
当てはまるか、というよりまずプロデューサーの奥山(和由)さんが「夏に虹郎が空いているよ」というこの一言で決まったので(笑)。でも「もううってつけの人間がいたじゃん!」と思いました。もう彼しかいないんじゃないかというくらいな。そんなにいないですからね、日本の俳優でピタッとはまるような人は。ただ、ちょうど虹郎が20歳でよかったな、という感じで。タイミングとしてはすごく良いんじゃないかなと。今やっぱり虹郎の20歳というのは、いい題材なんじゃないかなと思って、もうこの一年を逃したら次は無い、と思いましたね。
――先日、村上さんにもインタビューをさせていただいたんですけど、この西川トオルという人物に対して「この人と似ていると言われるのは、非常に複雑な気持ちだ」と言われていまして(笑)。
(笑)。確かに、別に似てはいないと思うんです、その役にはまったというだけであって。でも彼はやっぱり存在感が素晴らしいので、説得力があるというか。役を演じるというのはもちろん演技力、ということもいわれますけど、むしろやっぱりその人の持っている本質的なものが、役にはまるかどうかというところは大きいと思うんです。まず役に合っているかどうかというところは、どうしても年齢的なものとか、見え方というのもすごく重要なものだと思っていたし、そんな部分に対して、今回虹郎はうってつけだったと思います。
俳優とミュージシャンの共通点
――普段、映画音楽というものを、どんなお考えで映画製作の中で構築されているかをおうかがいできればと思います。
まあ”映画音楽”になったらいいな、と思っているだけというか(笑)。単純に子供のときから家にあったものが映画音楽だったので、小さいときから聴いていた音楽が映画音楽で、それが後になって映画を見て“ああ、この音楽が使われているんだ”みたいな。なんか“音楽があって映画がある”んじゃなくて“映画があったことによって音楽が生まれる”というようなものになったらいいなと思っています。
――単純な”音楽”というものがあるから、それを拾ってくるのではなくて?
そうです。でもそれは僕が今までやっぱり映画を見てきているから、ということもあると思うんですが。自分がやっぱり経験してきた、子供のころから10代終わりくらいまでに見てきた映画の音楽は、こういう感じだったなとか、こういう映画音楽が素晴らしかったな、とか、観客のときであった自分というのが、少なからずあったわけですから。
僕は19歳でこの世界に入ったので、そのときまでに聴いた音楽や映画体験というか、そういう時代に見たものをベースに、“こんな感じだったと音楽に出せたらいいな”と思っています。つまり自分が感激した音楽とか、自分が素晴らしいと思った音楽を、映画の中で作れたらいいなと思うんです。ただ毎回題材が違うし、シナリオや題材を見たときに”どういう映画になったらいいんだろうな”というなにかを考えています。それでも大体は、シナリオを一読したときにほぼ決まりますけど。
――“映画音楽”と一般に聴かれる“音楽”というものは、違うものだという認識が、武監督ご自身にはあるのでしょうか?
それはあります。“映画音楽”は映画を見ない限り聴けない音楽というか(笑)。映画と一緒に見ているから印象が残るような。やっぱり映像と音が別々に離れていたらなかなか、という思いがあって“こういう場面のときにこういう音楽が掛かったな”とか、そういう記憶の中で“じゃあこの映画は、こういうときにどんな音楽がなったらいいんだろう?”とか考えたり。
でもまあだいだいシナリオを読んだときに、どんな画を撮ろうとかということよりも、読んでいるうちに頭の中で音楽が掛かってくるもので、そのときに”今回はこんな音楽でいったらいいんじゃないかな、というのは読んでいるときに思えれば、それはいいシナリオだと思うし、それが出てこないときには”ああ、これはあまり映画にしてもしょうがないのかな”とか(笑)、思うときでもあるし。
――劇中で鳴らす音楽は、音楽というか、“効果音”みたいなものが鳴っているのと同じような考えなのでしょうか?
いや、そういうものでもないと思います。音楽は完全にドラマだと思うし。やっぱり人間ドラマとかそういうものが生まれる中で、劇伴が掛かっていることをイメージするわけなんです。だからどうしても映画を作ることをやっているし、シナリオを読んでいると、どこか音楽が鳴ってこないと。
まあそれは、自分がそういう映画が好きだからかもしれないですけど。でもやっぱり音楽と映画というのがうまくはまったときに“内容はよく覚えていないけど、あの場面は良かった”という印象ってありますよね? そんなところをシナリオで表現するとき、そんな気持ちではいます。だから音楽が奏でられない本だと、やっぱりちょっとキツいなと思いながら本を作ったりします。
――最近はよく役者さんが歌ったりするケースなんかもありますが、逆にミュージシャンの方をドラマとか映画に呼ぶというところで、監督としては意識されることはありますか?
確かに表現力という面では、優れているところがあるんじゃないかと思います。耳もいいし、感覚というか。
――それはたとえば撮影の中で見られる、演技をしている際の表情などでも、違うような気がしますか?
そうですね。なんかやっぱり歌を歌うというのも単に“歌う”という行為だけではないですから。言葉とか感情を乗せて発信するという表現が、歌うだけだと…単に歌がうまい人がいて、その人がカラオケで歌って何の感動もないけど、多少歌がうまいかどうか分からなくても、ステージに立ったときに、なにかに感動するものが出てくるという人というか。そういうところの違いだと思うんです。
だから人を魅了する人たちが見せる、ステージの上に立ったときに、歌一本だけで人の人生を変えてしまうというものは、なにか俳優に近いところがあると思う。そもそも人間本来が持っている、演じるとか歌うということで人を魅了するというのは、もう古代から人間がやっていることですから、それはやっぱり舞台、表現するという意味ではすごく力を持っていると思いますが。
――キャスティングなどで、なにか自分の作品に呼びたいな、この役はミュージシャンにしたいんだよな、などと思われることも?
まあ歌がうまい人は、声が良いですからね。ミック・ジャガーとか出てくれたら嬉しいですけど(笑)
――以前、武監督が手がけられた映画『リングサイド・ストーリー』で主題歌を提供されたフラワー・カンパニーズのメンバーにもインタビューさせていただいたこともありますが、たとえばフラカンの皆さんなんかはいかがでしょう?
まあ彼らがもし出るのであれば、バンドの映画を撮ったほうがいいんじゃないかな、と思いますがね、素晴らしい人たちですから。いいキャラクターがあるし、本当にあの人たちをモデルにしたバンドの道中劇を撮ったり、日本中を回る映画なんかを撮ったらいいと思うんですけど。
すごく仲良しじゃないですか? あの人たち(笑)。あの仲良し感ってすごくいいと思うんです。普通ミュージシャンって、ステージの上以外ではそっぽを向いているイメージがあるけど(笑)、あんなに仲のいいバンドメンバーって、僕は本当に知らなくて。だって小学校のころからの同級生ですよ? “普通だったらありえねえだろう!?”と思いますけど(笑)、そこが奇跡だと思う。その意味ではたとえば小学校から今までの軌跡を描いたら、すごく面白い映画になるんじゃないかと思っていますけど。
――本人におうかがいすると、“俳優? いやいやそれは…”みたいな事は言われていましたが(笑)
それはそうでしょう。だって面倒くさいですもん、セリフを覚えたりとか(笑)。ああしろ、こうしろって言われてね。ミュージシャンって、自由に気ままにやるのがいいわけで(笑)
(おわり)
公開情報
『銃』
(C)吉本興業
11月17日(土)よりテアトル新宿ほか全国ロードショー
<キャスト>
村上虹郎 広瀬アリス
日南響子 新垣里沙 岡山天音 後藤淳平(ジャルジャル)
中村有志 日向丈 片山萌美 寺十吾 サヘル・ローズ 山中秀樹
村上淳 リリー・フランキー
<スタッフ>
企画・製作:奥山和由
監督:武正晴
原作:中村文則「銃」(河出書房新社)
脚本:武正晴・宍戸英紀
制作プロダクション:エクセリング
企画制作:チームオクヤマ
配給:KATSU-do 太秦
製作:KATSU-do
2018年/日本/カラー&モノクロ/DCP/5.1ch/97分
R15+
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